2017年9月28日木曜日

ビフォーアフター

パンの続き。とりあえずこれで終了とする。布手前のふくらみと影の関係と見え方が明らかに不自然。

でも、実際にはこう見えてしまうのだよなあ。写真の露出と同じで、中央重点測光あるいは部分測光でここだけ見るから全体バランスが取れなくなるのだろうか。
今日学んだこと。影を描くのでなく、床を描く。この表現では後からわからなくなりそうだが。影が床と溶け込むというか。
単体のモノはそこそこ描けるようになったが、素材感が異なるモノを1つの画面で描くにはまだまだかかりそう。チャレンジあるのみ。

2017年9月26日火曜日

パン

パンが好きだ。お米より好きとかそういう比較論ではなく、絶対的に好きなのだ。
食パンも好きだし、フランスパンも好き。惣菜パンもおやつパンも好きだ。
ドイツ系の硬いパンは小学生の頃までは好きではなかった。小学4年生で生まれて初めて食べた時、酸っぱくて腐っているのではないかと思った。このパンを食べさせてくれた友人の家は恐ろしく広くて、庭でダムを作って遊ぶことができたくらいだっだ。40年以上前にドイツパンを普通に食べていたこと、家の広さ、そしておやつの豪華さからすると相当な裕福な家庭だったのだと思う。
我が家は暖房器具すら満足なものがないという貧乏さだったのだが、当時は貧乏という概念を自分の中に持っていなかったのは幸せなことだと思う。中学に進学してからは貧富の差というものをいやというほど思い知ることになるのだが、まあこれは思い出さないことにするのが幸せだろう。

閑話休題。パン。食べるのは良いのだが、描くのがこんなにも難しいものだとは思わなかった。これで3時間ほどかけたところ。
白いテーブル、白い布。そしてフランスパン。固有色のベースをどこに持ってくるかで色を変えなくてはいけないのはわかるのだが、パンを色濃くしないと成立しないのがとても難しい。奥行きとか重なった感は出たと思うけど、下のパンの形が狂ってる・・・あと2時間かけて上がりに持って行こうと思うが、どうなることやら。

パンは食べるもの。描くには10年早いということですね。

2017年9月12日火曜日

すずめのお宿

都内某所にて。おそらく廃業した米屋さんなのだろうが、ストックされているお米をすずめに還元しているようで、彼らにとっての食堂になっている。
彼らも大変マナーがよく、食事台やお店に一つのフンもない。うちのウッドデッキもすずめ食堂にしているけど、確かにフンはしない。子供が間違えてすることがあっても、成鳥は絶対しない。人との接し方をわかっているんだね。
すずめはとても頭がいい。この写真を撮る前、目の前にすずめが二羽ほど降りてきた。通り過ぎてきたところにパン屋があるので、多分、そこから出てきた人にねだればパンを分けてもらえると知ったのだろう。私もまんまと引っかかってパンを買いに戻り、お裾分けをした。
そこから10メートルくらい先にこのすずめ食堂があった訳で、彼らも米に飽きたらパンを買わせるという行動を発明したのだと思う。さすがだ。

2017年9月11日月曜日

22℃の奥多摩

宵っ張りの生活が続いているせいか、早朝はどうもシャキッとしない。
今日も7時前には目覚めていたのだが、バイクに乗るのが楽しみ!というモードに入らない。こういう時は無理して乗らない方がいい。
二度寝して、午後からサクッと奥多摩へ。奥多摩街道は至る所で金木犀の香り。秋ですね。和やかなスピードで奥多摩湖へ。
夏の色とはやっぱり違う。空は秋コーデ、山はまだ夏コーデという感じか。あと2週間くらいするとさらに涼しくなって走りやすくなるけど、車が増えるので走りにくい。土日は安全運転というのではなく、「下手でカーブのつど歩くくらいのスピード、写真取りたいところで安全確認しないで停まる人」ばかりになるので、こんな奴らの被害者にはなりたくない。
それにしても奥多摩周辺はゆっくりと休憩できるところが少ない。いや、場所はあるのだけどどうしたことかヤンキー親子、走り屋がたむろしているところばかりというか。箱根や道志みちも車やバイク好きが多くいるけど、こんな時代錯誤な雰囲気ではない。何でしょうね、これ。
なので、周遊道路沿いでは売店や大きな駐車場は避けている。好きなのはここ。

ソロツーリングやタンデムツーリングの人がゆっくり休むところという感じで、走り屋はここはパスしてくれるのがありがたい。
やはり類は友を呼ぶということか。

2017年9月6日水曜日

タイムスリップ

母校。懐かしの・・・

・・・と言いたいが、神保町と御茶ノ水を行き来したり、習い事で週1は通ったりするので懐かしさはあまり感じない。山の上ホテルも30年前から変わらぬ佇まい。懐かしさは感じないと言ったものの、校舎に入って廊下やドア、机を見るといきなり懐かしさを感じる。校舎がタイムマシンの入り口になっているという感じ。

学生の頃はこの10号館でサークルのゼミをやることが多かった。部室になんとなく集合してからだらだら話をしながらこの坂を下ったものだ。
雀荘に行くときも必ずこの坂を下った。ここを左折して錦華公園横の坂を下り、竹馬という店か、もう一軒、名前を忘れてしまったが終電ギリギリまで粘ったものだ。

サークルのゼミは記憶にあるのだけど、授業やゼミの記憶は全くない。ゼミは全く馴染めなくて数回で出るのをやめてしまったし(卒論なしだったから、先生の匙加減次第で単位が貰えたということだったと思う。今考えると一体どういうカリキュラムだったのか)、授業も大教室で参加意識を持ちにくかった。

願わくば、当時にタイムスリップしてちゃんとした学生生活をやってみたいものだと思う。

2017年9月3日日曜日

侘びと寂び

奥多摩にミニツーリングに行った。山はまだ夏の色を残していたけど、風は秋色。
涼しいと疲れなくていいですね。

奥多摩ツーリングで買うものは決まっていて、へそまんじゅうかわさび漬け。名物と呼べるのはこれくらいなのではなかろうか。観光というか、散策したりBBQしたりする場所なので、名物が生まれる余地がないというか、あまり商売っ気がないのは正解なのだと思う。
今日はわさび漬けを買った。山城屋さん。完全無添加でないのが残念なのだけど、まずまず美味しい。いかにも観光客相手ですよ、というような店構えでないところも良い。
Ninjaはこういう落ち着いた雰囲気にもすっと溶け込むね。
そういえば、わさびって「わび」も「さび」も入っていると気づいた。Ninjaのグリーンは実はわさびメタリックで、その心は侘びと寂びなのかもしれない。

2017年9月2日土曜日

夏と秋の境目

久しぶりに自転車に乗った。家の中で埃をかぶっていたので、フレームを綺麗にしてシフターに注油、ショックユニットにもエアを充填。もう2年近く乗っていないのに、ショックユニットはまだエア圧を十分に残していた。FOXユニットは素晴らしい。あ、フロントはマグラに変えていたんだっけ。
近所をぐるっと回っただけだけど、体力が落ちているのを実感。
坂道は上がれなくなってるし、ホッピングやフロントリフトも全然できなくなっている。筋力の衰えを感じる。でも、まあ楽しい。これから自転車も少しずつ復活させようと思う。

あれほど暑かった夏もいつのまにか秋の気配。夏と秋が季節を引き継ぐところは空と田んぼのあるところだとわかった。
空はまだ夏なのに、手前の稲穂と里山は秋の佇まい。稲穂が黄色から黄金色に変わる頃、空模様も秋に着替えるのだろう。

定番だけどモダン

安藤百福発明記念館にて。
かの人の偉大さや分厚い人生についてはよく知られた話だが、生み出された製品のデザインやその変遷についてはさほど知られていない。
歴代の各商品のパッケージをじっくり見てきたが、容器の機能、意匠、ロゴもやはり素晴らしいものでした。カップヌードルのロゴも時代時代で微妙に変わっていて、これには驚いた。ヒット商品だからとあぐらをかくことなく、時代の空気を読んだ、あるいはリードするデザインとアップデートをきっちりしている。
宣伝も先端メディアや今のソーシャルに相当するであろう繁華街やテレビを使ってやっている。これらも全て含めてカップヌードルというブランドなのだと改めて思った。

カップヌードル以外でもヒット商品はたくさんあるけど、自分が見たこともなかったというのがこれ。
スパゲニー。イタリア製西部劇がマカロニウェスタンとか言われて人気があった時代というところで作られたのだろうか。なかなかいいデザインだと思う。文字色もイタリアンカラー3色で補色関係で用いている。
定番を少しだけアレンジするというのがモダンに見せるコツなのかもしれない。

2017年9月1日金曜日

ヒューリスティクス

8月最後の今日もしとしとと雨でした。東京ではなんと27日も雨が記録されたとか。
なんだかそういう気がしないのだが、でも自宅のNetatmo雨量計のログを見たら17日雨の記録があった。通り雨くらいだと記録されないから、こんなものなのでしょう。
人間の記憶とか印象の持ち方なんであんまり正確じゃないということだ。

今日の昼間は芝公園付近にいた。おなじみの東京タワー。展望台の上をトリミングしたものだが、この下を記憶を呼び起こして描いてみてください。
形はいいです。高さ感とか大きさ感を問うものなので。
正解は・・・・
この写真だと「足元」が写ってないから少々わかりにくいけど。多分、もっと高いと思ってる人が多いのではないかと思う。私もこの写真を撮るときに、随分小さい(背が低い)と思った。
東京人ならおなじみの東京タワーの大きさすら人は正確にイメージできないのだ。ものを正確に見るだけでなく、正確に覚える能力も欲しいところ。これは絵を描くにも仕事をするにも共通だ。


2017年8月31日木曜日

透明を色で表現するのは難しい。多分、「自分の表現の公式」ができるまでは見え方=こう見えるはずというロジックと実際の環境光での見え方の間で揺すられ続けるのだと思う。

そう考えると怖い。やっぱりアートもサイエンスも若い頃に身につけておくのが得策だと思う。今日覚えたこと。
・色鉛筆は中間色を揃えるべし。セットものは色が強いので、微妙な表現に限度がある。
・固有色に関わらず、明暗はしっかりつけるべき。そうでないと「グレー」な絵になる。
・色を乗せるときは、固有色の補色でシャドー部分を塗る。ファンデーションだね。
・鉛筆は押し付けるのでなく、紙の凸凹を潰すように丁寧に。筆圧を強めるのではない。

1年後くらいにこの写真見て、ブログから消したくなるくらいになってるといいけど。

2017年8月30日水曜日

夜の帳

都会は空が狭い。夜の帳も当然の事ながらなかなか見ることができない。
地面からだと、こんな感じ。帰宅途中に車の薄明るいライトや切れかけた電柱の灯でも見えればまだ情緒はあるけど、LED化された今ではなんだかヘタなコンピューターグラフィックのような光景。

わからないことがわからないことがわからない(無限ループ)

人がわかっているというレベルを知ることはできない(答えが一つしかない、あるいは選択肢が少ない場合はそれを答えられたことでその設定レベルにあるということがわかるが)。 同じく、自分がわかっている(あるいはわかっていない)というレベルを人にわからせることもできない。逆もまた真なり。...