備忘録。
回り込みのある物体(回り込みのない物体は平面だけだから、おおよそ全てのものか)は、際3センチはB系の鉛筆は使わないこと。
B系を使うとどうしても「前に出て来てしまう」ので、奥行き感がでない。H系で線を重ねて面にして、奥の光が回り込んでいるように描く。影側は、モチーフによるだろうけど基本はFか。
これは今日の授業で習ったこと。先生は偉大だと思う。際を消して、数分鉛筆を走らせただけでグンと立体感が増した。
縁取りの金属の輪のパースがちょっと狂ってるけど。
エッジの部分がグリグリ濃く描くことで前に飛び出している感じが出せたけど、私はどうやら奥側の表現が苦手なようだ。
見たまま描くとどうしても「部分を重ねた絵」になってしまうので、全体感=面構成と光と影で描くべきで、これはもうノウハウというか。見たまま=現象を描くのでなく、ロジックを描くということだ。まだまだ精進ですね。
2018年6月7日木曜日
2018年6月5日火曜日
表現とロジック
このくまのぬいぐるみを描くのは2回目だ。
初回は毛並みの表現ができなくて、固有色と影が一体化して真っ黒になってしまった。今回は「それっぽく」見せるために毛並みを描くだけでなく消しゴムで細くゆるくS字型で抜いてみたり、回り込んでいる部分を一部細く抜いてみたり、「足さない」描き方をしてみた。
写真で撮ってみると手前の手と足の毛並みが繋がっているところが絵画的な表現としてはいまいちか。でも、それ以外はまずまず良く描けているのではなかろうか。
構造は表現できていても現象が表現できていない、現象は表現できていても構造が表現できていない。この2つのいずれかになってしまいがちだが、見たまま描くのでなく、3次元のものを2次元にコンバートするためのロジックを表現すると考えれば、構造と現象のどちらも表現できるはずだ。
まだまだ精進である。
初回は毛並みの表現ができなくて、固有色と影が一体化して真っ黒になってしまった。今回は「それっぽく」見せるために毛並みを描くだけでなく消しゴムで細くゆるくS字型で抜いてみたり、回り込んでいる部分を一部細く抜いてみたり、「足さない」描き方をしてみた。
写真で撮ってみると手前の手と足の毛並みが繋がっているところが絵画的な表現としてはいまいちか。でも、それ以外はまずまず良く描けているのではなかろうか。
構造は表現できていても現象が表現できていない、現象は表現できていても構造が表現できていない。この2つのいずれかになってしまいがちだが、見たまま描くのでなく、3次元のものを2次元にコンバートするためのロジックを表現すると考えれば、構造と現象のどちらも表現できるはずだ。
まだまだ精進である。
2018年6月4日月曜日
ダムに開眼
土曜日に宮ヶ瀬付近に走りに行き、ついでに宮ヶ瀬ダムを初めて訪れた。
この付近は土日になるとどこも有料駐車場になる。唯一無料なのは「鳥居原ふれあいの館」。ここは眺めがよくて好きなのだが、タバコを吸うライダーの聖地と化してしまっているのがちょっと。
なので、ライダーの多いところを避けて柵沿いで風が流れるところを陣取るようにしているのだが、ノンスモークライダーは同じことを考えているのか、あいにく空きがなく。
そういえば、2stとか古い4stで燃調が濃いバイク乗ってる人ってタバコ吸っている確率が多いと思うのだ。偏見なんだろうけど。
タバコの煙を避けるため売店へ。ここは何度も来ているのだが、夕方遅い時間のことが多いので、お弁当やおやつは売り切れのことが多い。この日はお昼ちょいすぎだったので、本来の品揃えを見ることができた。大きめな三角おにぎり。おこわ。助六寿司。焼きそば。普段あまり食べないおこわを選択。これ。
ダムは広かった。すごい技術だと思う。土木には疎いのだが、幼い頃にこういった現場を見ていたら感動で自分も関わりたいと思うのではなかろうか。
こういったアカデミズムとは全く縁のない環境で育ってしまったことを恨みつつ、せめて今からでも勉強を、ということで付属の科学館的な建物へ。
施設はとてもよくできている。単純展示もよかったけど、こういった体感型展示が出色の良さ。身体で覚えるというのはこういうこと。
これは自転車でダイナモ発電をして水を揚げ、その水が落下する量で発電するという仕掛け。よくできているなあ、と思ったのは、漕ぐスピードによって揚水量がちゃんと変わるので、発電量=仕事量と身体でバッチリ覚えられること。インタラクションとか言ってわかったような気になっていて、実はキネクトをスイッチとしてしか使えていないクリエイターたちは恥じ入るべきだね。それくらい言いたくなるよい体験。
隔週日曜日には放水もあるとか。クルマだと満車だろうけど、バイクならなんとかなりそう。来週日曜にまた行ってみよう。
この付近は土日になるとどこも有料駐車場になる。唯一無料なのは「鳥居原ふれあいの館」。ここは眺めがよくて好きなのだが、タバコを吸うライダーの聖地と化してしまっているのがちょっと。
なので、ライダーの多いところを避けて柵沿いで風が流れるところを陣取るようにしているのだが、ノンスモークライダーは同じことを考えているのか、あいにく空きがなく。
そういえば、2stとか古い4stで燃調が濃いバイク乗ってる人ってタバコ吸っている確率が多いと思うのだ。偏見なんだろうけど。
タバコの煙を避けるため売店へ。ここは何度も来ているのだが、夕方遅い時間のことが多いので、お弁当やおやつは売り切れのことが多い。この日はお昼ちょいすぎだったので、本来の品揃えを見ることができた。大きめな三角おにぎり。おこわ。助六寿司。焼きそば。普段あまり食べないおこわを選択。これ。
愛車を眺めつつ食べたいところだが、タバコの煙に巻き込まれたくはない。やむなく売店前のピーカンで日陰のないベンチで食べる。
うまい。たけのことしいたけが良いアクセントになっていて、初夏の草いきれの香りとあいまって実にうまい。350円は良心的なお値段だが、ちょっと量が多い。これのおにぎりを1つ120円くらいで売ってくれたらとても幸せなのだけど。
続いて宮ヶ瀬ダムへ。
お隣さんがGSR250だった。美しいブルーに堂々としたデザイン。これいいバイクだと思う。ハンドル周りの作り込みとかエンジンのシンプルな美しさ、それにサウンド。これに乗っている人は大人な走りで実に楽しそうに乗っている。スズキのバイクはどこかで人を楽しませるように確信して作られているのだ。
嬉しいのか嬉しくないのか微妙なダムからの贈り物。良さそうだとは思っても、自宅に置いた瞬間に粗大ゴミ化する可能性が大きい。公共施設の取り組みとしては素晴らしいと思うけど。
ダムは広かった。すごい技術だと思う。土木には疎いのだが、幼い頃にこういった現場を見ていたら感動で自分も関わりたいと思うのではなかろうか。
こういったアカデミズムとは全く縁のない環境で育ってしまったことを恨みつつ、せめて今からでも勉強を、ということで付属の科学館的な建物へ。
施設はとてもよくできている。単純展示もよかったけど、こういった体感型展示が出色の良さ。身体で覚えるというのはこういうこと。
これは自転車でダイナモ発電をして水を揚げ、その水が落下する量で発電するという仕掛け。よくできているなあ、と思ったのは、漕ぐスピードによって揚水量がちゃんと変わるので、発電量=仕事量と身体でバッチリ覚えられること。インタラクションとか言ってわかったような気になっていて、実はキネクトをスイッチとしてしか使えていないクリエイターたちは恥じ入るべきだね。それくらい言いたくなるよい体験。
隔週日曜日には放水もあるとか。クルマだと満車だろうけど、バイクならなんとかなりそう。来週日曜にまた行ってみよう。
2018年6月1日金曜日
対話
日曜日はアクアライン経由で房総を走ってきた。
1日で道の駅スタンプ8つ。数の上では記録だ。房総は道の駅密集地帯。いいのか悪いのか知らんけど、行政がなにか頑張る理由があったのでしょうね。
朝8時に出発して、帰宅は19時すぎ。道の駅8箇所+行き帰りの海ほたるで休憩した。ご飯は食べなかったから、それぞれの休憩時間は10分以内。トータルで10時間近くをバイクの上で過ごしたことになる。全然とは言わないけど、Ninjaは本当に疲れない良いバイク。馬力はそこそこでトルクの出方も唐突さがないからだろう。
人と話すのは嫌なのだが、バイクや風景との対話は実に楽しい。人と違って情報量がある上に、とてもロジカルだからだ。バイクでいろんな道路状況に対応するというのは、まさしく物理法則との対話になるわけで、海沿いのツーリングともなれば、さらに自然環境が起こす様々な現象とも対話をするわけで、楽しさも倍増。
山との対話。
風が運んでくる草木の匂い。それに、遠くの雲に由来しているであろう湿度の濃密な匂い。田植えの終わったあとの養分豊かな水の匂いもいい。
海との対話。
水平線は4キロちょい先なのだ。遠くのようで遠くない。海の色って季節によって違うんですよ。光の当たり方、プランクトンの数。変数はたくさんある。
岩盤。もうどれくらいの年月、波に洗われてきたのか。
千葉は海も山もあって、そのスケールが大きいので気持ちよかった。また海と山と対話に行こう。
1日で道の駅スタンプ8つ。数の上では記録だ。房総は道の駅密集地帯。いいのか悪いのか知らんけど、行政がなにか頑張る理由があったのでしょうね。
朝8時に出発して、帰宅は19時すぎ。道の駅8箇所+行き帰りの海ほたるで休憩した。ご飯は食べなかったから、それぞれの休憩時間は10分以内。トータルで10時間近くをバイクの上で過ごしたことになる。全然とは言わないけど、Ninjaは本当に疲れない良いバイク。馬力はそこそこでトルクの出方も唐突さがないからだろう。
人と話すのは嫌なのだが、バイクや風景との対話は実に楽しい。人と違って情報量がある上に、とてもロジカルだからだ。バイクでいろんな道路状況に対応するというのは、まさしく物理法則との対話になるわけで、海沿いのツーリングともなれば、さらに自然環境が起こす様々な現象とも対話をするわけで、楽しさも倍増。
山との対話。
風が運んでくる草木の匂い。それに、遠くの雲に由来しているであろう湿度の濃密な匂い。田植えの終わったあとの養分豊かな水の匂いもいい。
海との対話。
水平線は4キロちょい先なのだ。遠くのようで遠くない。海の色って季節によって違うんですよ。光の当たり方、プランクトンの数。変数はたくさんある。
岩盤。もうどれくらいの年月、波に洗われてきたのか。
千葉は海も山もあって、そのスケールが大きいので気持ちよかった。また海と山と対話に行こう。
2018年5月20日日曜日
秩父ツーリング
昨日の曇り空を引きずる(個人的には実に好ましい)のかな・・・と思ったら、飯能に入ったあたりでスカッと晴れました。あまり暑さは感じなかったので、まあよいツーリング日和と言えましょう。
自宅から20号、16号、299号経由で「道の駅あしがくぼ」へ。走りやすいいい天気だったのに、道すがら出会うバイクは少なく・・・これは道の駅に到着しても同じ。ぎっしりとは言わないまでも、四輪駐車場の通路際までバイクが並ぶことが多いのに、今日はざっと20台くらいか。みなさん奥多摩とか道志みちに行ってしまったのでしょうかね。
持って行ったペットボトルの水を飲みながら一休み。売店で江原商店の大福か草餅を買おうかどうか迷って、今日はパス。そろそろお金を使わないことを日常にしないといけないと思うと、結構締り屋になることができる。お金を使えないと考えると惨めになるが、使わないことを自分のチャレンジとする、と考えるだけでポジティブになれます。
道の駅龍勢会館を目指して再スタート。走りながらルートを考える。
寄居町経由で行くか、ダイレクトに行くか・・・
一人ツーリングだと、ついついゴールを目指すだけになるので、楽しさがゴールに行くにつれ減少してしまうというか、予想外ということが何もないというか。これが疲れの原因になったり注意散漫になったり、自分のためにならない考え事にハマる原因になる。
楽しいはずのバイクに乗って楽しくない思いをするのは馬鹿だ。強制的にでもどこかで降りて、自分の目と脳に刺激を与えれば、一人ツーリングがもっと楽しくなるかもしれないと思い、秩父駅付近で寄り道をしてみることにした。
洋食屋さん(?)パリー。建物がいい感じで寂れている。ショーウインドーに並んだサンプルもいい感じ。混んでいたので入らなかったけど、次回の楽しみにしようと思う。
メインストリート。土日だと観光客で混雑しているのだが、今日はそうでもなく。羊山公園の芝桜シーズンが終わったので一段落というところなのだろうか。
こういうところではバイクのエンジンを止めて押して歩いているが、軽量なGSXと言えども疲れる。お散歩バイクが欲しくなります。
10分ほど歩いて、道の駅龍勢会館に向けて出発。本当にバイクは少なくて、途中2台しかすれ違わなかった。30分トロトロ走って到着。ここは本当に人が少ない。食堂も閉店してしまっていて、これは「寂れた道の駅ワースト」になってしまうのではなかろうか。
スタンプだけ押して早々に再出発。今度は道の駅みなのを目指す。
途中、ルートを間違えたおかげで珍しい風景に出会う。
ループ橋ならぬ「ループ歩道橋」。これは珍しいんじゃなかろうか。観察してみると、写真右手に向かって結構な角度で上がっている車道があり、歩道橋のループの視点はその道路から数メートル下にある歩道に繋がっている。つまり、段差がありすぎて普通の構造の歩道橋では役にたたないということでこんなカタチになったのだろう。
歩いてみたくて仕方なかったが、全然人通りがない、しかもブラインドコーナーの出口にバイクを置きっ放しにする勇気がなくて断念。これもいつかチャレンジしてみたい。
このループ歩道橋から20分もかからずして道の駅みなのへ到着。もう16時を過ぎているが、食堂は17時までということで、何か食べようと思ってのぞいて見ると定食もうどんも売り切れ・・・無念。
売店でおこわかまんじゅうでも買おうとのぞいて見ると、良さげなお弁当を発見。
こういう飾り気のない、でも上手な意匠のお弁当はあたりのことが多いのだ。容器もプラではなくて木製で、ふたも湿気を出しつつ乾燥を防ぐ分厚い紙製。配慮が行き届いていて、作り手の熱意まで感じられる。これは絶対旨いと確信。
じゃん。
卵焼きの厚さ。鶏肉の量。それにつやつやしたご飯。柚子胡椒も本物だ。食べて見ると香ばしい焼き上がりの鶏肉としゃくしなの少々濃いめの味付けがクリティカルヒット。好んで鶏肉を食べない私だが、これは美味しい。
ググって見ると仕出し弁当屋さんではなくてちゃんこ鍋屋さんのようです。鍋ももちろん、洋食や、このわっぱ飯も出しているようで、ここは店舗に行ってみようと思う。
つまらないこと、気がかりなことばかりでうまく行かない生活を送っているけど、それで人生全体をつまらない色に決めてしまうのは勿体無い。自分の時間はできるだけ楽しく彩っていくべきだし、普段と違う行動をすれば、楽しくなっていくものなのだろう。
今日も昨日に引き続き、いい日でした。
自宅から20号、16号、299号経由で「道の駅あしがくぼ」へ。走りやすいいい天気だったのに、道すがら出会うバイクは少なく・・・これは道の駅に到着しても同じ。ぎっしりとは言わないまでも、四輪駐車場の通路際までバイクが並ぶことが多いのに、今日はざっと20台くらいか。みなさん奥多摩とか道志みちに行ってしまったのでしょうかね。
持って行ったペットボトルの水を飲みながら一休み。売店で江原商店の大福か草餅を買おうかどうか迷って、今日はパス。そろそろお金を使わないことを日常にしないといけないと思うと、結構締り屋になることができる。お金を使えないと考えると惨めになるが、使わないことを自分のチャレンジとする、と考えるだけでポジティブになれます。
道の駅龍勢会館を目指して再スタート。走りながらルートを考える。
寄居町経由で行くか、ダイレクトに行くか・・・
一人ツーリングだと、ついついゴールを目指すだけになるので、楽しさがゴールに行くにつれ減少してしまうというか、予想外ということが何もないというか。これが疲れの原因になったり注意散漫になったり、自分のためにならない考え事にハマる原因になる。
楽しいはずのバイクに乗って楽しくない思いをするのは馬鹿だ。強制的にでもどこかで降りて、自分の目と脳に刺激を与えれば、一人ツーリングがもっと楽しくなるかもしれないと思い、秩父駅付近で寄り道をしてみることにした。
洋食屋さん(?)パリー。建物がいい感じで寂れている。ショーウインドーに並んだサンプルもいい感じ。混んでいたので入らなかったけど、次回の楽しみにしようと思う。
メインストリート。土日だと観光客で混雑しているのだが、今日はそうでもなく。羊山公園の芝桜シーズンが終わったので一段落というところなのだろうか。
こういうところではバイクのエンジンを止めて押して歩いているが、軽量なGSXと言えども疲れる。お散歩バイクが欲しくなります。
10分ほど歩いて、道の駅龍勢会館に向けて出発。本当にバイクは少なくて、途中2台しかすれ違わなかった。30分トロトロ走って到着。ここは本当に人が少ない。食堂も閉店してしまっていて、これは「寂れた道の駅ワースト」になってしまうのではなかろうか。
スタンプだけ押して早々に再出発。今度は道の駅みなのを目指す。
途中、ルートを間違えたおかげで珍しい風景に出会う。
ループ橋ならぬ「ループ歩道橋」。これは珍しいんじゃなかろうか。観察してみると、写真右手に向かって結構な角度で上がっている車道があり、歩道橋のループの視点はその道路から数メートル下にある歩道に繋がっている。つまり、段差がありすぎて普通の構造の歩道橋では役にたたないということでこんなカタチになったのだろう。
歩いてみたくて仕方なかったが、全然人通りがない、しかもブラインドコーナーの出口にバイクを置きっ放しにする勇気がなくて断念。これもいつかチャレンジしてみたい。
このループ歩道橋から20分もかからずして道の駅みなのへ到着。もう16時を過ぎているが、食堂は17時までということで、何か食べようと思ってのぞいて見ると定食もうどんも売り切れ・・・無念。
売店でおこわかまんじゅうでも買おうとのぞいて見ると、良さげなお弁当を発見。
こういう飾り気のない、でも上手な意匠のお弁当はあたりのことが多いのだ。容器もプラではなくて木製で、ふたも湿気を出しつつ乾燥を防ぐ分厚い紙製。配慮が行き届いていて、作り手の熱意まで感じられる。これは絶対旨いと確信。
じゃん。
卵焼きの厚さ。鶏肉の量。それにつやつやしたご飯。柚子胡椒も本物だ。食べて見ると香ばしい焼き上がりの鶏肉としゃくしなの少々濃いめの味付けがクリティカルヒット。好んで鶏肉を食べない私だが、これは美味しい。
ググって見ると仕出し弁当屋さんではなくてちゃんこ鍋屋さんのようです。鍋ももちろん、洋食や、このわっぱ飯も出しているようで、ここは店舗に行ってみようと思う。
つまらないこと、気がかりなことばかりでうまく行かない生活を送っているけど、それで人生全体をつまらない色に決めてしまうのは勿体無い。自分の時間はできるだけ楽しく彩っていくべきだし、普段と違う行動をすれば、楽しくなっていくものなのだろう。
今日も昨日に引き続き、いい日でした。
2018年5月19日土曜日
大好きな曇&霧の日
子供時代からギリギリ雨が降るか降らないかくらいの曇り空が好きだった。抜けるような青空もそれはそれでいいのだけど、色合いがなんだが嘘くさいというか。コンピューターグラフィックなぞ存在しない時代から何か偽物っぽさのような感じがして胡散臭く感じていた。
今日はまさしく好きな曇りっぷり。そんな言葉があるのか知らないけど。しかも、湿度が高くて霧まで出ているという素晴らしさ。夏で湿度が高いのはご勘弁だけど、今日くらい、25度以下だと肌に馴染む感じで気持ちがいい。
霧が出ているときに高圧電線の下でジリジリという音を聞くのも好きで、今日は偶然にもたっぷり味わうことができた。これ。
小雨の時にも聞こえるけど、雨の音がノイズになるというか。やはり霧の日の高圧電線は格別の味わいだと思うのだ。実にいい音を聴かせてくれましたよ。
霧の日の、もう一つのご褒美がこれ。高い木や建物があると、そこだけ切り取られて世界から孤立しているように見えること。
森の向こうは滝になって落ちている、あるいは無の世界か。こんな幻想的な風景は晴れの日には見ることができない。
明日はバイクに4週間ぶりに乗りたいので、霧はご勘弁かな。暑いのは嫌なので、今日くらい曇ってくれますように。
今日はまさしく好きな曇りっぷり。そんな言葉があるのか知らないけど。しかも、湿度が高くて霧まで出ているという素晴らしさ。夏で湿度が高いのはご勘弁だけど、今日くらい、25度以下だと肌に馴染む感じで気持ちがいい。
霧が出ているときに高圧電線の下でジリジリという音を聞くのも好きで、今日は偶然にもたっぷり味わうことができた。これ。
小雨の時にも聞こえるけど、雨の音がノイズになるというか。やはり霧の日の高圧電線は格別の味わいだと思うのだ。実にいい音を聴かせてくれましたよ。
霧の日の、もう一つのご褒美がこれ。高い木や建物があると、そこだけ切り取られて世界から孤立しているように見えること。
森の向こうは滝になって落ちている、あるいは無の世界か。こんな幻想的な風景は晴れの日には見ることができない。
明日はバイクに4週間ぶりに乗りたいので、霧はご勘弁かな。暑いのは嫌なので、今日くらい曇ってくれますように。
2018年5月17日木曜日
取捨選択=センス?
左:先生の1時間デッサン
右:自分の3時間デッサン
構図の違いも、意図の違いもあるけど、実力差がすごいというか。らしく見せるというのと、写実的というのと、演出と。これらをミックスさせるにはスキルだけじゃなくてセンスが必要だと思うのだ。
・・・ある先生にこの作品を見せたところ、開口一番「ラバーの奥から書き込んでいったでしょ」と。なぜそんなことまで分かるのかと聞いたら、「奥側の方が手の入り方が細かいから」と。間違いではないけど、手前というか、「見せ所を細かく書き込んだ方が目が行くから、時間の使い方がもったいないことになっているよ」とも。
もう納得することだらけ。自分的にはこの差がスキルだけではない、センスだと思ったのだが、あながち間違いではないということか。服に置き換えたら分かる。頭のてっぺんからつま先まで、ゴテゴテに飾り立てたら、それはおそらくダサくなる。それと同じなのだ。コンバース(モチーフは無印商品的なものだったけど)のどこに目が行くかといったら、その素材感と独特のカタチ、それに古典的なラバーソールとその横のラバーテープだろう。ここが実物そっくりであれば、そこにフォーカスが行くわけで、全体としての絵の評価がグンとよくなるはずだ。
これは性格的な問題もあるのだと思う。私は枝葉末節にすごく拘ってしまうというか、細かいところにすぐ気づいてしまうタチなのだ。
これを活かせばいいのだろう。自分が気になるところはざっくり描いて、放っておく。細かく描きたくなったら、今時点では一番手前かエッジになる部分のみ描いて、遠くから見てみる。それでよければそこで完成、としてみようと思う。
右:自分の3時間デッサン
構図の違いも、意図の違いもあるけど、実力差がすごいというか。らしく見せるというのと、写実的というのと、演出と。これらをミックスさせるにはスキルだけじゃなくてセンスが必要だと思うのだ。
・・・ある先生にこの作品を見せたところ、開口一番「ラバーの奥から書き込んでいったでしょ」と。なぜそんなことまで分かるのかと聞いたら、「奥側の方が手の入り方が細かいから」と。間違いではないけど、手前というか、「見せ所を細かく書き込んだ方が目が行くから、時間の使い方がもったいないことになっているよ」とも。
もう納得することだらけ。自分的にはこの差がスキルだけではない、センスだと思ったのだが、あながち間違いではないということか。服に置き換えたら分かる。頭のてっぺんからつま先まで、ゴテゴテに飾り立てたら、それはおそらくダサくなる。それと同じなのだ。コンバース(モチーフは無印商品的なものだったけど)のどこに目が行くかといったら、その素材感と独特のカタチ、それに古典的なラバーソールとその横のラバーテープだろう。ここが実物そっくりであれば、そこにフォーカスが行くわけで、全体としての絵の評価がグンとよくなるはずだ。
これは性格的な問題もあるのだと思う。私は枝葉末節にすごく拘ってしまうというか、細かいところにすぐ気づいてしまうタチなのだ。
これを活かせばいいのだろう。自分が気になるところはざっくり描いて、放っておく。細かく描きたくなったら、今時点では一番手前かエッジになる部分のみ描いて、遠くから見てみる。それでよければそこで完成、としてみようと思う。
2018年5月16日水曜日
いつもオクトパスアーミーだった
1987年4月の2週目だっだと記憶しているが、クラス全員参加のコンパがあった。大学はクラス単位での授業は語学と体育だけであり、クラスという単位があまり意識されないということは入学後初めて知った。
クラスの担任は飄々とした方で、アカデミーというよりは社会での実践を重んじるタイプだった。コンパも、「クラスで動くことはどんどんなくなるから、今のうちにしか取れないコミュニケーションを取っておいたほうがいいよ」という非常に端的なアドバイスからなるものだった。
コンパは渋谷のセンター街の中にある小洒落たイタリアンのお店でやったと記憶している。お店に行くのが遅かったせいで、窓際のハイカウウンターのような席でとても座りにくかったこともよく覚えている。
お酒が体質に合わないこと、カラオケも嫌い、そもそもあまりきゃあきゃあ騒ぐのが好きでもないので、お開きになると同時にお店を出た。
高校時代は新宿や原宿ばかり行っていたし、浪人時代は買い物自体あまりしなかったので、渋谷の店から湧き出してくるようなファッションの情報量に目を見張った。当時はフラッシュダンスやトップガンといった、今でもよく話題になる映画がヒットしていて、これらの登場人物の服や靴、それにバイクが注目の的だった。リーボック、MA-1、NInja・・・これらは今は商品を表す言葉にすぎないけど、当時はライフスタイルとかカルチャーを表す記号だったのだ。これら記号がどの店からも溢れて、センター街を覆い尽くしていた。
センター街を渋谷駅に向けてゆっくりと歩いていると、軒下までTシャツや小物を溢れんばかりに出している店があった。高い天井からはMA-1やらロンTがたくさんぶら下がっていて、倉庫のような雰囲気。現在の所ジョージ氏のご自宅のような雰囲気とでも言えばいいだろうか。服、靴、雑貨が溢れんばかりなのだが、そのテイストに一貫性があるところが妙に心地よかった。これが大学時代4年を通じて毎週のように通うことになるオクトパスアーミーとの出会いだった。
ド派手なプリントものや、グリーンベレーのようなタコのキャラクターもの。これがなんとも格好良くて、ひとめで気に入った。中でも、派手なタコのワッペンが前後について茶色のメタリックっぽいMA-1がとても気に入った。お値段は確か32800円だったか、39800円だったかだと思う。大学入学したてでアルバイトもまだやっていない19才にはなかなかのインパクト。店員さんに聞いてみると1サイズで数着しか作っていないから、38サイズ、40サイズは店頭に出ている限りとのこと。うーん・・・・
翌日、なけなしのお金を握りしめて渋谷に直行した。お店のオープンは確か10時30分だったと思う。開店と同時に購入。お店の方は私を覚えていてくださったが、少なからず驚いた顔をしていたことも覚えている。顎周りに薄くヒゲを生やした、いかにもアパレルの方という方で、多分当時25才くらいだったのではなかろうか。今はどうしているだろう。
お店の派手さに似合わぬ地味な茶色い手提げ袋に入れてもらい、そのまま帰宅した。遊ばずに帰るなんて、よほど嬉しかったのだと思う。
これがきっかけとなって、主にアウターはオクトパスアーミーで買うようになった。前のエントリーでショップのwebから拝借した写真のTシャツはおそらく20年以上ぶりに復活させたオリジナルキャラ、ケンケン。これは私が通い始めた頃はなくて、多分1988年頃から使ったキャラクターなのではないだろうか。
オクトパスアーミーで気に入ったのは独自キャラやお店の派手さだけではない。品質がとても良かったのだ。メイドインUSAかジャパンのものが大半で、当時そろそろチャイナが出始め、TAIWAN多数派といった、当時のお値打ちカジュアル群の中では異彩を放っていた。
どこに行くのもオクトパスアーミーだった。学校、バイト、ドライブ、ツーリング。学校では階段教室で背中を見ればどこに私がいるかがすぐわかる、と言われたことがある。良い目印になっていたのだろう。「背中にタコ背負った人」と言われていると同級生の女の子にも言われたことがあるので、よほどのインパクトだったのだと思う。良くも悪くも。
今はこれだけ入れ込んでいるブランドやショップはない。大人になって社会とのお付き合いが半分を占めるになったこともあるのだろうけど、お店に行かなくては!という強迫観念すら感じさせてくれるような好きな店がないのだ。「オクトーアスアーミー シブヤで会いたい」という映画が1990年に公開されたが、このタイトルをつけた監督もおそらくは当時のオクトパスアーミーにインパクトを与えられ、そして愛していたのだと思う。
自分が好きなものがある生活というのはとても幸せだったと思うのだ。
クラスの担任は飄々とした方で、アカデミーというよりは社会での実践を重んじるタイプだった。コンパも、「クラスで動くことはどんどんなくなるから、今のうちにしか取れないコミュニケーションを取っておいたほうがいいよ」という非常に端的なアドバイスからなるものだった。
コンパは渋谷のセンター街の中にある小洒落たイタリアンのお店でやったと記憶している。お店に行くのが遅かったせいで、窓際のハイカウウンターのような席でとても座りにくかったこともよく覚えている。
お酒が体質に合わないこと、カラオケも嫌い、そもそもあまりきゃあきゃあ騒ぐのが好きでもないので、お開きになると同時にお店を出た。
高校時代は新宿や原宿ばかり行っていたし、浪人時代は買い物自体あまりしなかったので、渋谷の店から湧き出してくるようなファッションの情報量に目を見張った。当時はフラッシュダンスやトップガンといった、今でもよく話題になる映画がヒットしていて、これらの登場人物の服や靴、それにバイクが注目の的だった。リーボック、MA-1、NInja・・・これらは今は商品を表す言葉にすぎないけど、当時はライフスタイルとかカルチャーを表す記号だったのだ。これら記号がどの店からも溢れて、センター街を覆い尽くしていた。
センター街を渋谷駅に向けてゆっくりと歩いていると、軒下までTシャツや小物を溢れんばかりに出している店があった。高い天井からはMA-1やらロンTがたくさんぶら下がっていて、倉庫のような雰囲気。現在の所ジョージ氏のご自宅のような雰囲気とでも言えばいいだろうか。服、靴、雑貨が溢れんばかりなのだが、そのテイストに一貫性があるところが妙に心地よかった。これが大学時代4年を通じて毎週のように通うことになるオクトパスアーミーとの出会いだった。
ド派手なプリントものや、グリーンベレーのようなタコのキャラクターもの。これがなんとも格好良くて、ひとめで気に入った。中でも、派手なタコのワッペンが前後について茶色のメタリックっぽいMA-1がとても気に入った。お値段は確か32800円だったか、39800円だったかだと思う。大学入学したてでアルバイトもまだやっていない19才にはなかなかのインパクト。店員さんに聞いてみると1サイズで数着しか作っていないから、38サイズ、40サイズは店頭に出ている限りとのこと。うーん・・・・
翌日、なけなしのお金を握りしめて渋谷に直行した。お店のオープンは確か10時30分だったと思う。開店と同時に購入。お店の方は私を覚えていてくださったが、少なからず驚いた顔をしていたことも覚えている。顎周りに薄くヒゲを生やした、いかにもアパレルの方という方で、多分当時25才くらいだったのではなかろうか。今はどうしているだろう。
お店の派手さに似合わぬ地味な茶色い手提げ袋に入れてもらい、そのまま帰宅した。遊ばずに帰るなんて、よほど嬉しかったのだと思う。
これがきっかけとなって、主にアウターはオクトパスアーミーで買うようになった。前のエントリーでショップのwebから拝借した写真のTシャツはおそらく20年以上ぶりに復活させたオリジナルキャラ、ケンケン。これは私が通い始めた頃はなくて、多分1988年頃から使ったキャラクターなのではないだろうか。
オクトパスアーミーで気に入ったのは独自キャラやお店の派手さだけではない。品質がとても良かったのだ。メイドインUSAかジャパンのものが大半で、当時そろそろチャイナが出始め、TAIWAN多数派といった、当時のお値打ちカジュアル群の中では異彩を放っていた。
どこに行くのもオクトパスアーミーだった。学校、バイト、ドライブ、ツーリング。学校では階段教室で背中を見ればどこに私がいるかがすぐわかる、と言われたことがある。良い目印になっていたのだろう。「背中にタコ背負った人」と言われていると同級生の女の子にも言われたことがあるので、よほどのインパクトだったのだと思う。良くも悪くも。
今はこれだけ入れ込んでいるブランドやショップはない。大人になって社会とのお付き合いが半分を占めるになったこともあるのだろうけど、お店に行かなくては!という強迫観念すら感じさせてくれるような好きな店がないのだ。「オクトーアスアーミー シブヤで会いたい」という映画が1990年に公開されたが、このタイトルをつけた監督もおそらくは当時のオクトパスアーミーにインパクトを与えられ、そして愛していたのだと思う。
自分が好きなものがある生活というのはとても幸せだったと思うのだ。
2018年5月14日月曜日
ファッション30年を俯瞰
1987年頃を境にアメカジブームが起きたと記憶している。
この頃のファッションは流行り廃りのサイクルが恐ろしく早かった。
私が中学校2〜3年の1981年前後にはサーファーブーム。みんなサーフブランドのトレーナーやTシャツを着ていた。タウンアンドカントリーとか、アルパとか。鮮やかな色使いのマークは新鮮で格好良かった。ちょい大人だと、バックプリントのシャツか。これだとファションじゃなくて本当のサーファーっぽく見えた。
その少し前にはテニスブランドが流行っていたと思う。タッキーニとか、フレッドペリーとか。テニス部にいたこともあって、これらは結構着た。ポロシャツという意識ではなく、テニスブランドという意識で着ていた。
話が激しく前後するのだが、サーファーブームはあっと言う間にすぎて、1982年にはアイビーが流行ったと思う。ローファーにコインを挟んだり、アイビーリーグの紋章のついたスタジャンとか、シャツもボタンダウンとか。
私もこれは随分いろいろ買った(買ってもらった)。今考えると、グレーのフラノのパンツを中学生が何本も持っているというのは随分と贅沢なことだったと思う。サーファーファッションとの接点は完全にゼロ。私は普段制服のある中学生だったから良かったけど、その頃の大人たちは服にかかるお金は大変なものだったのではないかと思う。
このアイビーも2年くらいしか持たず、1984年にはDCブランドが先鋭的な(今見るとすごくダサい)ファッションで攻めてきた。テーパードのジーンズに幾何学的なざっくり編んだセーターとか、肩パッドの入ったジャケットとか。それになぜか小脇にクラッチバッグ。これも長続きせずに、1985年にはモノトーンで全身黒づくめみたいな、わかりにくいファッションになっていった。この頃、モノトーンが高校生にはちと早いという感じがしたのと、それなりに持っていたアイビーのワードローブを着崩すという感じで、Pコートやらダッフルコートと色鮮やかなストライプのマフラーをタイトなパンツやジーンズと合わせるといった、アメカジの始まりみたいな着方をよくしていたと思う。
そしてようやく冒頭に書いた1987年に話が戻ります。人に読んでもらおうと思わないで書くと、こんなにも文章は雑に、冗長になるのかと驚きつつ、筆を進めます。
1987年は、私にとっては屈辱(当時はそう考えていた)の浪人時代の終わり。あるいは大学生活の始まり。とりたてて強い目的意識もなく、本当に普通に大学生活が始まったとき、まずは服をあれこれ買ったことをよく覚えている。ミツミネとかタカQ、それにイトーヨーカードー。イトーヨーカドーは当時はメンズファッションに結構力を入れていて、ミツミネなどに負けないほどの流行りの、あるいは尖った服を作っていた。
どれくらい尖っていたかというと、当時、ジョガーパンツを売っていたのだ。ジョガーパンツは2016年くらいに一般化したと記憶している。30年も前に実はジョガーパンツがあったのだ。今でもそのデザインをよく覚えている。カーキでテーパード、それにサイドにはサメのエラのような飾りのついたポケット(サープラスと差別化したかったと推定)。今あったら喜んで履きたいくらいのデザインだった。
シューズも充実していた。リーボックのハイカットを買ったのもイトーヨカドーだったと思う。これにトップスはリーバイスのジージャンをよく着ていた。フォルムがややゆったりだが、今着ていたとしてもおかしくないファッションセンスなのではないかと思う。
これが4月の桜が咲く頃、大学の入学式のすぐあとくらいに着ていた服。
そして、クラスの初めてのコンパが開催された渋谷で、あるお店と運命的な出会いをすることになる。
いくらなんでも長くなった。続きはまた明日。
2018年5月13日日曜日
たまに思い出すこと
学生時代、法律関係のサークルに所属していた。
サークルには学校の先生の他、サークルOBの弁護士の先生もいらして、そのうちのお一人の方の事務所でアルバイトをすることが数回あった。
アルバイトといっても、先生の事務所の慰安旅行の留守番だから気軽なもの。弁護士業務のバックエンドの仕事をするわけでもなんでもない。
1日寝泊まりするだけで確か1万円いただいていたと思う。先生は2泊とか3泊されるので、バイトは日替わり、2人体制でやっていた。
温和な先生、先生に輪をかけて温和な奥様。そして事務アルバイトの丸顔でメガネをかけた、いつもニコニコした若い女性。夏本番の爽やかな朝方に先生の事務所兼住居のマンションにお邪魔し、「いってらっしゃい」とお見送り。
アルバイトとしての仕事は、事実上、この数分間だけ。先生のおっしゃる「自由に過ごしてよい、帰ってくるまでに現状回復されていればいいから」を鵜呑みというか、その深慮遠謀なところを全く慮ることなく自由に過ごしていた。
まず、暇そうなサークルのメンバーに電話をする。1980年代のことだ、今と違ってスマホはおろか携帯電話すらない。事務所の電話を勝手に使うのだ。
サークルの夏合宿の宿題作成や遠征のカリキュラムの打ち合わせという名目で続々とメンバーが集まる。エアコンが効いた広い応接室で重厚なレザーのソファにもたれかかったら、もうそんな打ち合わせなんてどうでもよくなる。
だらだら喋りながら、お弁当屋さんで買ってきたお弁当を食べる。誰かがビールを開けた瞬間にアルバイトの建前すら消え去り、完全な居酒屋になる。
私はお酒を全く飲めないので、冷静なのだが、まあみんな悪知恵が働くというか。先生の書斎から高そうなウイスキーを1杯失敬するやつ。それを真似てまた1杯失敬するやつ。夜半には高そうなウイスキーは数本空になっていて、そこにサントリーのホワイトを入れてごまかそうとするわけだから、法学部の学生なぞ辞退した方がいいと思うような振る舞いばかり。昼間から明け方までソファに寝そべったり床に寝転びながらポテチを食い、コンビニの弁当や冷凍食品を広げてダラダラ喋る。それが48時間続くのだ。今思えばとても贅沢な時間の過ごし方だけど。
3日目の10時頃、先生から「今から帰ります」と電話がある。これを聞いてからの「現状回復」がある意味本当のアルバイトだった。タバコ臭くなった部屋の換気、ポテチのカスなどで汚れた部屋の掃除、飲んでしまったウイスキーの証拠隠滅。正規アルバイト以外のメンバーの追い出し。
今考えると先生の帰るコールは「そろそろ原状回復にとりかかってくださいね」というメッセージだったのだろうと思う。いや、そもそもアルバイトもお小遣いをくれる名目だったのだろうとも思う。
あれから30年。先生も80歳をとうに超えているはずだ。お元気だろうか。
地下鉄の駅を降りて地上に出ると、先生の事務所のあったマンションのことをたまに思い出す。サントリーホワイトに入れ替えをするS君の無精髭の生えた顔や、寝癖を直すMさんの顔も脳裏にありありと浮かんでくる。
2018年1月26日金曜日
光と影
白いものを白い空間にどう描くか。鉛筆で白いものを描くには?
グレーの階層構造の中で白い部分と黒い部分を作れば良い。
まあ、何でも言うほど簡単でも難しくはないわけで、何とかこのレベルの絵は描けるようになった。悪くはないのではないか。
これは線でなく面で描いたのだが、うまい人は「線で面を作って」いたりするから凄いものだと思う。線をうまく使うとちゃんと白いものに見えるんだよね。これは今後の課題というか、チャレンジ目標ですね。
じゃあ、白くないものと白いものを1枚の紙の上で描き分けるには?
これは白いものより簡単なようで簡単ではない。どこまで色を乗せていくのか、正解はないからだ。固有色にこだわるのは素人の典型的な傾向らしい。素人は見事にハマりましたよ。
あざとくハイライトの部分を練り消しで取っていくこともできなくはないのだろうけど、今度は質感が失われていく。結局はなんだが黒いコロンとした物体が出来上がった。この敗北感・・・・まだまだ先は長いですね。
グレーの階層構造の中で白い部分と黒い部分を作れば良い。
まあ、何でも言うほど簡単でも難しくはないわけで、何とかこのレベルの絵は描けるようになった。悪くはないのではないか。
これは線でなく面で描いたのだが、うまい人は「線で面を作って」いたりするから凄いものだと思う。線をうまく使うとちゃんと白いものに見えるんだよね。これは今後の課題というか、チャレンジ目標ですね。
じゃあ、白くないものと白いものを1枚の紙の上で描き分けるには?
これは白いものより簡単なようで簡単ではない。どこまで色を乗せていくのか、正解はないからだ。固有色にこだわるのは素人の典型的な傾向らしい。素人は見事にハマりましたよ。
あざとくハイライトの部分を練り消しで取っていくこともできなくはないのだろうけど、今度は質感が失われていく。結局はなんだが黒いコロンとした物体が出来上がった。この敗北感・・・・まだまだ先は長いですね。
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わからないことがわからないことがわからない(無限ループ)
人がわかっているというレベルを知ることはできない(答えが一つしかない、あるいは選択肢が少ない場合はそれを答えられたことでその設定レベルにあるということがわかるが)。 同じく、自分がわかっている(あるいはわかっていない)というレベルを人にわからせることもできない。逆もまた真なり。...